よく話す人は本当に営業職に向いているのか?
最近、「お前はめっちゃ話せるんだから、営業職に向いているよ」と就活の時に耳にしたのを思い出した。 (僕のことではない。本当に耳にしただけ)
寝不足からか、久々にお酒を飲んで深夜テンションで頭がおかしくなったからなのか
「よく話す人は本当に営業職に向いているのだろうか?」
と、ふと疑問に思ったので考えてみた。
数学も論理学もまじめに勉強してない人間が、書いているので、疑いの目で読んで欲しい。
さて、この疑問は
「よく話す人」ならば「営業に向いている人」
という命題になるだろう。
この命題を包含関係で解釈すると
「営業に向いている人」⊃「よく話す人」
となる。
また、命題の対偶をとれば
「営業に向いていない人」ならば「よく話さない人」
となる。
この対偶を包含関係で解釈すると
「よく話さない人」⊃「営業に向いてない人」
となる。
この命題が真であるならば、すなはち、この命題の対偶が真ならば、
「営業に向いてない人」は「よく話さない人」に内包されている。
従って、「営業に向いていない人」の要素が、
「よく話さない人」の補集合「よく話す人」に含まれていれば、
この命題の対偶は偽となり、命題も偽となる。
「営業に向いていない人」の要素の一つに
『内向性』がある。
※内向的な人は営業に向かないと多くの人間が思っているので、真偽はともかく、この点は正しいとして話を進めよう。
ここまでの論理を踏まえ、
この『内向性』という要素が、「よく話す人」にも含まれていることを示せれば、命題が偽であることが示せそうだ。
これを示すため、ここで一旦、『内向性』の定義に振り返る。
内向性•••心や気持ちのはたらきが外に向かわず,自分の内面に向かいとじこもりがちである性質 (三省堂 大辞林より抜粋、一部改変)
この定義を踏まえ、「よく話す人」について考えるが、「よく話す人」に、「自分についてよく話す人」が内包されることに疑いを持つ人はいないだろう。 よって、これからは、より狭い集合である「自分についてよく話す人」について考える。
自分について他人に話すという行動を起こすためには、話している最中終始、自分の過去、現在、又は未来の経験や感情等に向き合わなければならない。すなはち、心が自分の内面に向かわなければ、自らについて語ることは不可能である。
自分について他人に話すという行動は、他人に対しアウトプットしているから外向的であると思われがちだが、その本質は自らを振り返る内向的なものであり、内向性を有している。と言えるだろう。
従って、行動は本人に帰属するものであるから、「自分についてよく話す人」は『内向性』を有している。
ここから、必然的に「よく話す人」は『内向性』を有していることが導かれ、この命題は偽であることが示された。
ここまで書いといてなんだが、用語が正しく使えてるか不安しかないし、論理もあってるかどうか怖い。
数学も論理学もきちんと勉強しておくべきだったと猛省。
よく話せる人が全員、営業に向いてることはなくて、その話している内容が話し手自身のことばかりでないか等を見極めてアドバイスしてあげるべきなのかもしれない。
色々考えてたらラーメン食べたくなってきた。